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ダダっときた

既成の概念や所謂常識と呼ばれるものそして文明の体系その全てを否定したと仮定して、若かしてそれが一体ダダと云うべきものだろうか。

否定するということは既にその内部に包含されていると考えるべきである。そうなると否定自体が肯定の反作用にしかならず畢竟その存在そのものをある部分では認可することと等しい。

ならば一体何を以ってダダとするのか。これがダダが誕生すると同時に抱えていた自己矛盾ではないだろうか。

存在そのものを否定してしまうとその否定の主体を喪失してしまった形骸のみが残留し、本質的な否定とは離れる。かといって肯定はそもそもの思想から離れるのであれば、一体どうするのか。

そこが其れダダの真骨頂であり、理論的に矛盾を起こそうが倫理的に乖離しようがお構い無し。

自己論理のみをその包含している存在から離れてぶちかますのではないか。

というよりそれ以外に方法はない。

では藝術性から離れた日常におけるダダとは何であろうか。そう考えること自体がすでにダダから離れるという不条理の中でわたしは今日も苦悶するのである。

嗚呼全く以って五里霧中
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